yutorin0917のブログ

ゆとりさんのブログ

今更気づいたこと

今更ながら、幸せじゃなかった原因は

自分が自分を大切に扱ってなかったから

と気づいた。

 

いつも後回し

いつも私の気持ちは優先順位が最下位

 

これじゃあ、だれも私を大切に扱えない。

「いいです私はなんでも」
「私の希望はありません」

 

そして幸せじゃなかったことを嘆いてる

 

幸せになりたいんだったら

人に大切に扱われたかったら

まず自分が自分を大切に扱おう

優先順位は1番 
私の気持ちを大切に扱おう

0815 お盆

お盆も最終日

日本の仏教は「死んだ後のご先祖様の祀り方」という認識が多いけど
本当は「人がどのように生きるか」という道標になる教え。

2500年前、お釈迦様が悟りを開き、それを弟子の方々に伝えたとされる内容は、
死んだらどう祀る、という話ではなかったんですね。

すべての結果には必ず原因がある。
良いことをすればよい結果となって還って来る。
悪いことをすれば悪い結果となって還って来る。
自分の行いがすべて自分に還って来る。

「因果の道理」は仏教の根幹の教え だそうです。

 

でもね、人だから良いことばかりやってられないんですよ

そもそも良いこと、悪いことって何?って話でね笑

誰かにとって良いことが、誰かにとって悪いことになることもある。
私にとって良いことだと思っても、ほかの人に良いこととは限らない。

じゃあ一体どうすれば???

人はなぜ人にとって良いこと、という目線で生きているんでしょうね。
私がいいと思うことは、100人いたら100人が賛同はしないでしょう。
でも私がいいと思うことを、「私がいいと思う」と思ってやれば、
誰がなんと言っても私は幸せなんじゃないかな?
そして、誰かの評価だったり、誰かに押し付けるためにやるのではなく、
自分が幸せだから、という理由でやればいいんじゃん!

それを見て、それを聞いて、誰かが「それはいいね」って言ってくれたら、
「いいな、それ」って思ってくれたら
全員じゃなくても、誰かに響けばさらに幸せだよね。

自己犠牲で誰かのためにだけ生きることはできません。
自分が枯渇してしまったら、そこには「なんで私ばっかり」という恨みつらみが
出てきます。

だから、まずは自分を幸せにすることが
良いこと、なんじゃないかな

0815 そろそろだよ

小さい頃は痛かった。
痛い想いをしないように、力つけてきた。
そろそろ自分何がしたいのか、
そろそろ行動し始めようよ。

いつまで被害者でいるん?
いつまで「可哀そうな私」でいるん?

そんなん何も始まらんやん。

自分の願いをもって
この世に生まれて
願いを叶えるための力をつけるために
力がつく親を選んで生まれて
力つけてきた。

あなた方の元であったからこそ
私はこんなにも一人で生きる力を付けた。

そろそろ私が本当に願っていたことに向かって
動きはじめたいな。

まずは、自分自身を尊ぶこと
自分自身を慈しみ 自分の力を慈しみ
私が私であっていい。今までダメだと思っていた私も
人からダメだと思われるんじゃないかと思っていた私も
全部、許そう。
全部、受け取ろう。

このままでいい。
このままあっていい。

私が私であっていい
臆病なのは、過去誰も守ってくれないと思って隠れながら生きていたから
怖がりなのは、失敗したら誰も庇ってくれないと思っていたから
被害者のように自分を誇示するのは、みんなの同情を引きたいから
自分でやらない人を許せないのは、自分が全部ひとりでやってきたから
自分の人生に踏み出せないのは・・・・?
自分に責任を取らない私
私が私のやりたいことを私がやることに誰の許可がいるんだろう。
誰かが「それはおかしいんじゃないか?」「そんなことして何になるの?」
「無難な道を行けばいいのに」「なんか滑稽でよくわからない」と言われたら怖い。
誰かがそんなことを言うことを恐れている?

いや、本当はそれを言い訳にして、
一歩を踏み出さない言い訳にしているからだ。

いいじゃん、なんと言われても。
私がそう思ったんだもん。
私がやりたいと思ったんだもん。

やったらいいよ

そろそろだよ

自分にあるもの

自分が相手の対応に反応したとき

自分の何かがいけなかったのかとつい考える

自分の中にある反応は、あってはならないものはない。

自分の中に反応が起きたら、何かに気づきたいサイン。

何かに気づきたいんだなって思えばいい

 

相手が自分の言動に反応したとき

反応は相手の認知であり相手のもの

そこを自分がどうこうはできない

できることは

何かが反応したんだねって

そう思えばいいし、

そう理解すればいい

自分を大切にすることとは

無意識だけど自分の事は二の次にしてきた。
理由は周りを優先することで、自分が邪魔な存在にならないように。
自分の事を二の次にっして、いい人の仮面を被って過ごした。
理由は私によって周りの人が不愉快になって不機嫌にならないように。

周りが不愉快になると、居心地が悪い。
誰かが不機嫌になると、私はここから立ち去りたくなる。
ましてや自分のせいで不機嫌だなんて、怖くて逃げだしたくなる。
そんなことになるくらいなら、
自分にいい人仮面をつけて、いつも周りからどう見られているかを気にして

私が誰かを不機嫌にしてないか、
私が誰かの迷惑な存在じゃないか、
ここの居場所を失くさないために

ここまではなんとなく知ってた。
でも自分よりも誰かの不機嫌のほうを優先したかった。
恐かったから。

そして限界がきた。
私はこんなにも自分を抑え込んで
こんなにもみんなのご機嫌のために
自分の言いたい事も言わずに
なのに、みんなどうして私に不機嫌ばかり押し付けてくるの?
溢れかえる気持ち
爆発させたらとんでもないものが出てくるんじゃないか
良い人仮面が外れたら、恐ろしい化け物の私が出てくるんじゃないか

でも長年抑えてきた思い。
私の高性能圧力鍋も限界がある。
溢れる思いに針の先が刺さると
物凄い勢いで想いを人にぶつけてしまう。
「その言い方はちょっと・・」とか言われると
悲しさと怒りで更に爆発しそうになる。
なんでこんなに我慢して抑えつけてきたのに
ちょっと自分を出したらそんな言い方されて

ああ
そうだ。
自分を大切にしないって、
こういうことだ。
みんなの機嫌は見てたけど
自分だってご機嫌でいたかった。
みんなの意向ばかり優先したけど
私だって大切にしたい想いがあった。
大切にしたかった。
私だけ除外しちゃ、だれが私を大事にしてくれるの?

人の不機嫌が怖いことも、ダメじゃないし
それが私だし。それを否定しなくていい。
不機嫌の人が怖いんです。
不機嫌が怖いんだって思って、その気持ちを大事にして
だからといって人の不機嫌をなんとかしようとする必要はない。
不機嫌は私のせいじゃなくて、相手のもの。
私が私の想いを伝えて、大切に大切に伝えて、
それでも相手が不機嫌になるなら
それは仕方ないこと。
相手が不機嫌になっても、私は私で変わらない。
私の場所もなくならない。
相手の言葉で私が不機嫌になったら、
それも丁寧に相手に伝えていい。

もっと自分を大切にしてあげよう。
私が感じていること
私が思っていること
私が大事にしたいこと
全ては私にとって
一番大切なこと。

叶えたい事はどこででもできるよ

「私にはやりたい事がある。

でも、ここではできない。

だって、ここにいる人たちはみんな

協力なんてしてくれないから」

 

本当にそうだろうか

自分がやりたい気持ちを伝えてるんだろうか?

最初からダメだと決めつけてないだろうか?

 

仕方なく自分のテリトリーを主張して

仕方なくダメな人を排除して

だからこの人達はダメなんだと

私も勝手に決めつけてないだろうか

 

そうする事しか教えられてない

やり方がわからないだけなのかもしれない

みんなも本当は安心安全な場所を作りたいと思っているんじゃないか

 

私が心を開いて

みんなの安心安全の場を作りたいんだと、

テリトリー主張や非難ダメ出し排除じゃないやり方でいきましょうと、

ちゃんと伝えれば、

必ず理解してくれる人はいるはず

 

ここで私のやりたい事は

きっと叶う

仮面

会社で仮面をつけている。

おちゃらけキャラで、誰とでも仲良くなれる仮面

②マネージャーとして落ち度がないように管理、不足があると圧をかけてしまう仮面

③同僚や上に対して虚勢を張り、もっともらしい事を言ってるが、内心は認められてない事を恐れてる仮面

④学びをついひけらかしたくなる仮面

プライベートは、ない。

だって仮面つけて付き合うのシンドイ。

①の仮面で近寄る人は遠ざける。

子供には過去②だった。今は極力①であろうとする。

でも、独りは寂しい。

いい人であり(①)ちゃんとした人(②)でも不足がないか心配で(③)人格者でありたい(④)

そうじゃないと、いない方がいい迷惑な人になりそうで怖かった。

そうやって生きてきた。

生存を伸ばしてきたんだ。

 

これからは、①楽しくあっていいけど合わせなくてもいい②しっかりしてなくてもいい③不足があってもいい④人格者でなくていい

それでも、ここにいていい。

そう思って生きていこうかな。